メディカルネットワーク

ヘルスケア

「我が人生、最大の難関は……」

Konica Minolta Medical Network No.277 No.2-2010

群馬大学大学院医学系研究科 放射線診断核医学分野 教授 遠藤啓吾

千葉大学大学院医学研究院放射線医学 教授
伊東久夫

私は話をすることが苦手である。日本語で話をすることさえ難しいのに、外国語となると、どうしたらよいのか、困惑するばかりである。外国語を自由に操る日本人を見ると、異常な人、宇宙人のようにさえ思われる。おそらく、言葉に恐怖感を持っている私が異常なのであろうが……。

そもそも、医師の主要な仕事は患者さんとの会話であるとされている。昔から医師の重要な仕事として"ムンテラ"がある。ムンテラはドイツ語のmundtherapie(口での治療)を日本語風に略したものとされている。

医者は患者さんに病状を説明するばかりか、患者さんの気分を高揚させ、治療を積極的に受けてもらえるようにする必要がある。医師の話術の上手・下手は、患者さんの気分はもとより、治癒成績にさえ影響するとされている。話し下手の私が、これまで約40年間、何とか日常業務を行えてきたことが、自分でも不思議な気がする。

約30年前、米国に留学する機会を与えられた。その頃、自分は言葉を理解する能力がこれほど欠落している、との自覚はなかった。外国人と暮らしていれば、英語は自然にわかるようになるものだ、と信じていた。

しかし、米国で約3年間を過ごし、つくづく、私は言葉を聞き取る能力が欠落している、英語は理解が困難なことを実感した。この能力、才能はどのように形成されていくのであろうか。

留学時には3歳と1歳の息子も一緒に米国に行った。私の子供なので、当然、語学の才能は遺伝的にないはずである。実際、最初の9カ月間くらいはほとんど英語がわからず、幼稚園にもなかなかなじめなかったようであった。

ところが、その後、突然英語を理解するようになり、1年が過ぎる頃には、私よりはるかに会話が上手になっていた。息子は3カ月ほどで私よりはるかに上のレベルに到達した。私が中学、高校、大学で習った英語は何だったのか。

米国での生活で最も困ったのは、自動車が故障したときであった。修理工場に車を持っていったが、原因がわからないことはもとより、故障の状況がうまく説明できない。ところが、家庭内で故障の状況を話していたのを聞いていた息子は、直ちに修理工がわかるように説明してくれた。

そして、一番印象に残っているのは、留学を終えて帰国するときのことである。飛行機は空席が目立っていた。当時は飛行が安定すると、機長がコックピットから出てきて、乗客に挨拶をしていた。息子達にも声を掛けてくれた。息子達がどのように答えたのかわからないが、機長は驚いたような顔をした。おそらく、アジア人の子供が英語を話したことに、驚いたのであろう。

機長は息子達と少し話をした後、2人をコックピットに連れていった。そして、機長からいろいろなおみやげをもらった息子達は、1時間ほどして座席に戻ってきた。現在では考えられないような出来事であった。

英語を話すのは才能や能力ではないらしい。子供は才能と関係なく、日常生活に対応する能力が抜群なのである。

最近、中国からの留学生の家族と会食をした。来日して2年とのことであったが、夫妻ともに日本語が極めて堪能であった。しかし、最も驚いたのは、小学6年生の息子さんである。日本語の微妙なニュアンスも理解しており、その理解度は両親をはるかに上回っているように思われた。

つくづく、子供の言葉を理解する能力に驚かされた。留学から帰国する飛行機で機長が感じたことを、私が実感したのかもしれない。

最近、学校での英語教育を見直され、小学校から役に立つ英語を教えることになると聞いた。日本語も含めて、会話を重視する教育の促進は大変重要なことだと思う。

多分、会話の能力は才能ではなく、環境による影響が極めて大きいと思う。私のような日本人を一人でも減らしてもらいたいと切に願っている。

ただ、一方で、人付き合いの苦手な若い人、会話の苦手な若い人が増えているという。医学教育でもその傾向を実感している。日本人が教える英語教育、今の若い人が教える教育で、私のような日本人が本当に減るのか否か疑問である。もっと思い切った教育法の改革が必要かもしれない。

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