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No.263 No.2-2003
日本医学放射線学会の歴史をたどる

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日本医学放射線学会の歴史をたどる

Konica Minolta Medical Network No.263 No.2-2003

遠藤 啓吾

遠藤 啓吾
群馬大学医学部附属病院
放射線部部長

学会。長い間いくつかの学会に所属していると無意識のうちに使っている言葉である。しかし一般の人にとっては、響きの良い言葉のようだ。なんとなく知的なイメージがわいてくる。

外国の学会に行くための航空機の中で、たまたま乗り合わせた客に
「観光におでかけですか?」
「いや、学会にちょっと」
「いいですね。私も一度学会に行きますと言ってみたいです。賢い人たちが集まって最先端の研究発表とは、うらやましい」
と言われ、改めて「学会」という言葉の重みを感じたりする。

開業医の先生にとっては、よほどのことがないかぎり盆、正月以外に自分の診療所を休むことはできない。しかし「学会のために休みます」だと、診療所を休診にしても患者から納得してもらえる。ここでの「学会」は学術集会のことで、日本医学放射線学会(以下放射線学会)の場合は4月の春のいわゆる総会、秋の秋季臨床大会や地方会のことなどのことをさす。

このように学会が社会に認められるようになるにはそれぞれの学会に長い歴史がある。
放射線学会の歴史については、後藤五郎(京都府立医大 放射線科 初代教授)がまとめて下さった日本放射線医学史孝「明治大正篇と昭和篇(1927-1945)」という2つの本が残されている。この日本医学放射線学会の誕生までには多くの出来事があったようであるが、ともかく昭和16年4月5, 6, 7日に第1回日本医学放射線学会総会が京都府立医大臨床講堂で開催され、現在につながる。

第1回の学会のプログラムによると特別講演は湯川秀樹「放射線と物質」。宿題報告は古賀良彦「X線間接撮影法」と山川保城(病気につき山下久雄代演)「悪性腫瘍の放射線治療」。山下は慶応大学を卒業後まだ2~3年目だったが、山川が病気のため代理で講演したという。

興味あるのは総会の際に開かれた幹事会の出席者である。会長真鍋嘉一郎の他、岩井孝義、石川数雄、井上政之、入江英雄、原 邦郎、西岡時雄、渡辺 完、亀田魁次郎、高橋左右平、武田俊光、中島良貞、中泉正徳、長橋正道、永井 隆、増倉善信、藤波剛一、後藤五郎、古賀良彦、桜井勇太郎、島崎敏雄、樋口助弘、本島柳之助、関誠一郎、鈴木元晴、末次逸馬そうそうたる名前が出ており、このうち何人かは名前を聞いたことがあるのではなかろうか。多くは東大、京大、大阪大、慶応大、慈恵医大など古い大学の初代教授達である。

例えば本島柳之助は東京医大放射線科初代教授だが、群馬県太田市に江戸時代から続く名門の病院の出身。月曜日から金曜日は東京で仕事し、土、日には故郷に帰り、太田市の自分の病院で診療していたという。その歴史ゆえ現在も本島総合病院では土、日は診療しており、金曜日が休診となっている。
その影響だろう。太田市のある群馬県東部地域のいくつかの病院では、日曜日も診療を行っている。日曜診療は患者には喜ばれるのだが、若い医師や技師など病院職員にはやはり抵抗感が強いようだ。

後藤五郎のやり残された昭和21年から現在までの放射線学会の歴史をまとめるべく、学会の長老の先生方を中心としたワーキンググループが発足した。代表は梅垣洋一郎。いくつになられても若々しい先生で、放射線医学のもつ素晴らしい魅力について、その歴史を通して後世に残して下さればと思っている。

放射線学会の長い歴史は最も貴重な財産である。だがここに書かれた31名の有名な方のうち「いくつの名前を聞いたことがありますか?」「何人に会ったことがありますか?」。その人数で自分の年齢が分かるような気がする。(敬称略)

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