港区、歴史めぐりツアー

浜松町・芝・大門マーチング委員会では、2019年6月1日(土)に第8回お散歩ツアーを実施しました。
今回のお散歩コースは、田町、品川駅間に出来るJR高輪ゲートウェイ駅の開発により、大きく変わろうとしてるまちの歴史めぐりです。
変わるもの、変わらぬもの、その移ろいを確かめるのに何度も訪れるのもおススメです。


  • 放送記念碑

  • 元和キリシタン遺跡

  • 高輪橋架道橋

  • カルガモプロジェクト

  • ブーランジェリー アランドゥマンド

  • おかめ鮨

  • 東京港醸造

  • 秋色庵大坂家

  • 三田台公園

  • 泉岳寺

  • 泉岳寺(赤穂浪士の墓所)

お散歩ツアーコース

今回のお散歩コースは、放送記念碑からスタートして約9kmのコースとなります。

(1)放送記念碑(大正)
JR田町駅の芝浦口の階段を下りていくと右手に東京工業大学附属科学技術高等学校があります。創立は明治19年、東京商業学校(一橋大学の前身)に附設された商工徒弟講習所職工科にさかのぼりますが、この学校の図書館で日本のラジオ放送が始まり、大正14年3月22日午前9時28分、その第一声が発せられました。
この仮放送局は愛宕山の本局に移りますが、当地には昭和30年、放送開始30周年を記念して「放送記念碑」が建てられました。

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(2)元和キリシタン遺跡(江戸)
元和9(1632)年、3代将軍徳川家光が50人のキリシタンを火あぶりで処刑した刑場の跡で、石碑が立っています。大きなビルの脇で4月になると芝桜が咲き誇る広場の一角にひっそり佇む遺跡です。処刑場だったことから空地となっていた場所に、慰霊のために智福寺(※現在は練馬区に移転)が建てられました。
ここを舞台に主人公の「男」と修道士の「ネズミ」をめぐる物語を綴ったのが、遠藤周作の短編「札の辻」。慶應義塾大学で学んだ遠藤は、港区ともゆかりのある作家です。

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(3)高輪橋架道橋(大正)
重要な生活道路で、皆が首をかしげて歩く変わった光景が日々繰り広げられています。正体はJRの線路の下を通り、高輪と芝浦を結んでいる全長約200メートルの高輪橋架道橋。
JR品川駅~田町駅の新駅開発に伴い消滅すると言われていますので、ぜひ一度潜り抜けることをおススメします。

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(4)カルガモプロジェクト(平成)
かつてこの辺りは緑豊かな島であり、多くのカルガモが巣を作り、春には何組もの親子ガモを見ることができたといいます。
草むらがなくなり減ってしまったカルガモを増やそうと、“カルガモプロジェクト”と称し、橋の下を流れる運河にはカルガモの巣が設置されています。かわいらしいカルガモをきっかけに、地域の人たちが環境について考えるきっかけになってほしいとの思いから始まったプロジェクトです。

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(5)ブーランジェリー アランドゥマンド(平成)
ビストロ&パン工房でモーニングからディナーまで、またお持ち帰りもできるパン屋さん。季節ごとの限定オリジナルパンは常連客にも飽きの来ない企画も楽しみなお店です。

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6)おかめ鮨(江戸)) ※今回お散歩コースをご案内頂いた長谷さんのお店です。
「芝に生まれて神田で育つ!」とは江戸っ子そのものをうまく表現するフレーズで知られる「芝海老」の芝も元々ここ芝浜で漁師がとったエビのことです。そんな『芝魚』を海から釣りたてで新鮮なものだけを吟味し塩・酢・また醤油などで味付けをし、当時のファストフード「鮨」へ仕立てたのがおかめの始まり。1855年創業の江戸前寿司のお店です。

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(7)東京港醸造(江戸)
文化9年(1812年)から100年間続いた酒蔵は頭首の他界と酒税法の改正により明治42年廃業。それから100年後の平成23年(2011年)、7代目齊藤俊一が酒造業の復活をめざし製造免許を取得。都心で醸す酒蔵として少量ながらも新鮮で高品質な製品を皆様の元へお届けしています。

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(8)秋色庵大坂家(江戸)
元禄年間から18代続いている和菓子屋さん。初代は日本橋小網町で創業し、昭和初期に三田へ移って来ました。看板商品は日本初の三色最中(秋色最中)で、小倉・栗・黒糖の味が楽しめます。その他にも四季折々季節ごとの生菓子も常時10種類程並んでおり、ちょっとだけ食べたい時やお土産、しっかりとした贈り物にも好適な知る人ぞ知るお店です。

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(9)三田台公園(伊皿子貝塚)(縄文)
奥にはビオトープがあり住民の憩いの地である三田台公園。港区初の遺跡公園として貝層の断面と竪穴式住居を復元したレプリカが展示されています。
ここから100メートルほど南東の地点において、昭和53年7月から1年半かけて発掘調査が行われ、遺跡からは江戸時代の犬猫の墓石・供養塔、古墳・平安時代の竪穴式住居跡、弥生時代中期の方形周溝墓、縄文時代の貝塚と竪穴式住居が順に重なって発見されました。この遺跡は伊皿子貝塚と呼ばれていて、すぐ近くには亀塚公園もあります。

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(10)泉岳寺(江戸)
主君の仇討ちを決行した赤穂浪士は四十七士と呼ばれていますが、お墓の数は48基。主君の切腹を赤穂藩までたった5日で伝えたとされる萱野三平重実は事情により仇討ちに参加することが叶わず、討ち入りから2年後の浅野内匠頭の月命日に自害をとげたのです。その志から後になって一緒に葬られることとなったのでした。

参加者からのご感想

  • 皆さん本日はどうもお疲れさまでした!天気に恵まれて楽しいお散歩ツアーでした。(^^)
  • 私も楽しかったでーす!♪
  • 歩いてみると普段気づかなかった発見があったりするね!
  • 本当に楽しかったですね~、またお会いしましょう!!
  • これからも港区の魅力を発見していきたいです。よろしくお願いします。

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