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佐久間かつえ写真展


作者の撮影ノートより

撮影の前に

私は義父を介護し看取った後、1991年写真専門学校に入学した。義父の呆けていく姿に、「残された人生を大切に、人間、生あるうちに何かをしなければ」と痛感し、高校時代「女に写真は無理」の一言で簡単に諦めた世界に挑戦する決心をした。
学校には、アジアからの留学生が多いことに驚いた。24年間専業主婦だった私は、アジア留学生と言えば、国費留学のエリートか、就労目的の不法滞在者の認識しかなかった。
彼らは心を開けば真面目な若者達だった。勤勉で真摯な態度に惹かれ、カメラを手に彼らの部屋を訪れるようになった。彼らの眼は夢で輝いていた。
1980年代後半「夢」を求めて来日したアジアの留学生たち。あれから20年の歳月が過ぎ、彼らは40歳前後の働き盛りとなった。彼らの「その後」を追い、アジア各国を一人旅した。

最も印象に残ったこと

当時彼らの来日に対して賛成する親もいたが、「あの日本に行くことだけは反対する」という親も多かった。しかし20年後の今日、自分の子供達が日本に留学することを望み、子供達も日本への留学を夢見ている。日本政府の奨学金制度で学んだ留学生たちは、母国でそれぞれの分野で活躍していた。彼らが日本との架け橋になっていることを実感した。

作品エピソード

海外の一人旅は、数々のハプニングが待っている。 通常ならバヌアツ国はフィジーから小型機で90分。当日は悪天候のため1時間遅れでフィジーを飛び立った。しかし90分が経過しても、まだ飛び続けていた。隣の座席のおじさんが「Look over, You can see Vanuatu there!」。エ!? その後さらに2時間30分飛び続け、着陸したのはニューカレドニアだった。ここで天候回復まで待機すること2時間半。飛行機は再度飛び立つ。隣のおじさんはワインを何杯もお替りして超ご機嫌。2時間30分後、機体がドスンと大音をたて着陸したのはソロモン諸島だった。外は稲妻と強雨。数分後、機長が「We will go back to Fiji」。機内からは歓声と拍手が起こる。結局12時間かけて出発地フィジーに逆戻り。乗客は誰も怒るどころか、ホテル宿泊代金は航空会社持ちだからラッキーというから恐れ入った。

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