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鈴木秀夫写真展


作者の撮影ノートより

撮影の前に

1973年(昭和48年)に鎌倉の写真展を新宿で開いたが、その後は写真を撮りに鎌倉に出向いたことはなかった。
定年退職後の2007年、ふと鎌倉を思い出し、その後どうなったのかを見てみたいと妻を伴って興味本位で出かけた。その時点では写真展のことはまったく考えていなかった。しかしそこで建長寺仏殿の側面を見て、その塗装の剥がれ・汚れ・かすれ具合が36年前とほぼ同じなのに感動したのがそもそもの始まりである。
ではそのほかのところはどうなっているのか、すべて見てみたくなった。事前調査はあえてせず、以前の撮影場所を訪ね歩いて探し出し、同じ位置に立ち、デジタルカメラのレンズを同じように向けての撮影を心がけて、楽しみながらの約1年半の撮影が始まった。そして36年前と同じ場所で撮影したデジタルカメラには、実に様々な表情を見せる鎌倉の画像が次々と記録されていった。

最も印象に残ったこと

観光客やカフェ・レストランの増加は驚くほどで、小町通りは大変な混雑である。カメラマンのマナー低下か、撮影禁止になったところが複数あり、残念な思いをした。改築された建物も多く茅葺きの屋根が減ってしまった。タイワンリスが増えて鳴き声をよく聞き、姿を見ることも多くなった。樹木は大きくなって景観が変わり、その為に伐採されてしまったものもあった。
このように印象に残った事は沢山あるが、一番印象に残ったのは、実は思っていたよりも変化が少なかったということである。鎌倉に居住している人にとってはこの36年間は大変貌かもしれないが、東京、特に多摩ニュータウンのように根底から変貌してしまったところに住んでいる人間から見ると静かな変化である。鎌倉市の条例によって守られていることもあるのだろうか。またこの写真集では神社仏閣の写真が比較的多く、変化しにくい環境ということもあると思う。鎌倉の800年の歴史の中の36年などほんの短い年月なのかもしれない。

作品エピソード

何とか撮影したかったがどうしても撮れなかったものがいくつかある。
そのひとつは輝く相模湾に向いた大仏の後姿である。季節を変えて4回ほど出かけたが、樹木が大きくなってどうしてもその光景を見ることはできなかった。これは樹木が伐採された時にはまた現れるはずである。
もうひとつは銭洗弁財天にあった荒々しい木彫りの童子像である。聞くところによると永年の風雨で朽ちてしまったようだ。この像の作者は当時境内で十二支の小さな根付を売っていたS氏である。見事な飴色になった犬の根付だけがいま手元に残っている。
そしてこれらの新旧の作品をモノクロプリントするために、いろいろなプリントセミナーやスキャナーセミナー、モノクロ作品の写真展に通い、多くの方々から様々な知識を得て悪戦苦闘しながら作品を制作した事が、私にとっては大きな財産となった。

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