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小柴直樹写真展


作者の撮影ノートより

新たな試み

一枚の写真の中で、ひとりの人間の心の中の記憶の交差を語ることができないかと思った。物語としての何枚かの写真の繋がりが、見た人の心の中に何かを宿す組写真とは違う、写真家である私という人間の心の中にすでにある複数の場面が、ある意味を持って重なり合うことを伝えることである。
ひとつの踊りの流れの中の別の場面、都市と舞人との重なり、自然と舞人との融合、本作品は、そうした多重プリントによる写真をも散りばめて構成している。重ねられた場面の関係は、地と図であったり、主と従であったり、光と闇であったりと、見た人に様々な想像を巡らすことであろうが、その延長には私の心が横たわっている。

最も印象に残ったこと

土方巽記念アスベスト館での舞台の記憶に勝る私の鮮烈な思い出、それは元藤燁子氏と若き舞人たちとの熱海への旅である。元藤先生は、「この旅は、舞人と写真家のコラボレーションである」と語った。行き先々で突如として踊りはじめる舞人たちへ向けた私のカメラの目は、本当に自由そのものであった。そして、その記憶は私の心の中に「熱海の夏の夢」として焼き付けられた。
「また、こんな旅をしましょう」「次はこんなところで踊れないかしら」「こんな姿を撮ってもらいたいな」、こんなことを語った元藤先生は、今はもういない。
あの不思議な心の漂いを今も忘れられない。またいつか、自然の中でこうした心の交わりを体感できる機会を、今も私の心は欲している。

今後の作品制作について

目の前の出来事に感動してカメラを向ける。作品は私の感動の結晶である。人間というものに関心を持ち、たくさんの人を撮ってみたいと思っている。これまで、都市に目を向け流民を撮った。舞踏と出会って舞人を撮った。
ふと思う、写真の中の真実とは何か。都市が真実か、舞台が真実か。写真家によって作品化されたものは本当に真実なのか。真実はそれこそが真実でしかないはずであるが、善か悪か、白か黒か、写真の真実には方向性があるとしたら、その着色は写真家に委ねられているに違いない。
舞人は踊ることで表現を終え、姿は見た者の記憶と化す。この出来事を再現することは、写真家の記憶の再現であり、翻訳であっても原文ではない。「人間の生きる目的」の翻訳者として、写真家でありたい。また、私の翻訳を必要とする者の出現を願って止まない。

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