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いいかげん

Konica Minolta Medical Network No.278 No.1-2011

東北大学病院がんセンター長 放射線治療科 教授 山田章吾

東北大学病院がんセンター長 放射線治療科 教授
山田章吾

人に言われると"むっ"とするが、自分を振り返ると納得してしまうのがこの"いいかげん"という言葉ではないかと思う。納得するということは、この言葉に多少の良い意味とか愛着を感じているからであるが。

私が放射線科入局を決意したのは、東北大学医学部卒業間近の3月であった。短期集中グループ学習で国試に臨んではいたものの不安は大きかった。

そんな中、仲間の高橋昭喜君が、「X線診断学をやりたいから放射線科に話を聞きに行ってくる」といって出掛けた。われわれは「ふーん」とつれなく送り出したのであるが、彼は喜々として戻ってきて、「放射線科は国試に落ちても給料をくれるらしいぞ」と言うのである。

「まさか」と思いながらも怪しい誘惑には勝てず、石井清君と一緒に直ちに放射線科に行くと、星野文彦教授が「うん、その通り」とおっしゃる。そこで、いったんその場を辞して3人で相談した。

高橋君は既に入局を決意していたのでよいが、石井君と私は「うまい話には何かあるので、やはりお断りしよう」ということになり、後日、星野教授にお断りに行った。しかし星野教授はなかなか許してくれず、仕方なく「私は入局するので、石井君は希望のところに行かせてあげてほしい」ということで納得していただいた。

以上が、放射線科に入局することになったいきさつである。「なぜ放射線科を選んだのか」と人に聞かれると、この"いいかげんさ"を説明することになり、いつも「うっ」と詰まってしまう。

国試にも無事合格し、結局3人とも放射線科に入局した。入局して初めて、過去5年間1人の入局もなく助手の席が空いており、また医師免許がなくとも助手にはなれるということを知った。

また、私どもの入局した医局の初代教授は古賀良彦先生で、古賀先生は間接撮影法を開発し、1期入局の高橋信次先生と一緒に回転横断撮影法を開発、その後、高橋信次先生は原体照射法を開発するといった、いわば現在の3次元画像診断や治療の基礎を築いたのがこの医局である、ということを知ったのもずっと後になってからである。

高橋君は志を貫いて本学放射線診断学分野の教授になり、また石井君は仙台市立病院の放射線科部長となって活躍している。

その後、私は、医局員の数が異常に少ないということもあって、思いもよらず助教授にしていただいた。そして助教授時代に、医学部にある労働組合のような組織、教室員会の委員長に選出された。

副委員長は委員長が指名するのであるが、初めての総会の時に会計担当の副委員長から「この"ずぼら"な委員長の下で仕事をすると思うと……」と言われてしまった。いろいろなことがあったが、私自身は自分のことを真面目できちょうめんだと思っていたので、この言葉を聞いて一瞬くらっとした。

後から医局員に「"ずぼら"というのは褒め言葉なんですよ」と言われても、「うーん」と考えさせられてしまった。まさかとは思っていたが、人からもやはり"いいかげん"と思われていたのか、と知ってショックだったのである。

それからは居直ってしまった。副委員長をお願いした先生とは、その後も仲良くお付き合いをさせていただき、私の病院長時代にも経営担当副院長を担当していただいた。

14年余りの教授生活も、この3月で終わりである。星野先生は「カミソリで紙は切れても大木は切れないからなー、大木を切るには斧が必要なんだ」とおしゃっていた。"いいかげん"な人間は後者の仕事しかできないが、果たして斧の仕事ができただろうか、と思う。

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