メディカルネットワーク

ヘルスケア

「音楽について」

Konica Minolta Medical Network No.275 No.2-2009

東邦大学 放射線医学講座 教授 甲田英一

東邦大学 放射線医学講座 教授
甲田英一

この小文のテーマについてあれこれ考えてみたが、『音楽について』とした。これは音楽が私にとって一番のストレス解消になっており、前向きの文章となると考えたからである。
音楽には演奏する楽しみと、聴く楽しみがある。演奏する楽しみは学生時代、尺八部に所属していた時に楽しんだが、演奏が下手でも合奏は楽しいものである。これは個が消滅し、他者と一体化できるからと解釈している。おそらく、すべてのチームプレーと共通する課題であろう。ソロもしくは協奏曲形式のものは凡人では楽しめない。音楽は絵画と違って、誰が聴いても、そのレベルはすぐわかるもので、普通は自己満足できるものではない。

尺八を練習しなくなって久しいが、家の目につくところに今でも置いてある。

音楽を聴く楽しみには、生の音楽を聴く楽しみと記憶媒体を聴く楽しみがある。これもどちらも素晴らしいものだが、楽しみの豊かさからいうと、生の音楽を聴く楽しみが文句なく優れている。

61年の人生の中で、一度だけ、この瞬間に死んだら幸せだろうと感じたことがある。それはマルタ・アルゲリッチとその仲間が演奏したショスタコービッチ、ピアノ三重奏曲第二番ホ短調作品67を妻とサントリーホールで聴いていた時である。聴いた場所と環境を記載したが、音楽を聴くときにはその環境が大切となる。特に生の音楽ではその環境が大切で、マルタ・アルゲリッチの音楽がどんなに素晴らしくとも、これがNHKホールで妻以外の人と聴いていたら、あの感動は得られなかったと確信している。会場の雰囲気、隣にいる人間で、音楽は苦痛にさえなる。ちなみに私が好きな会場はサントリーホールと紀尾井ホールである。クラシック音楽以外では会場はあまり気にならない。隣にいる人も妻以外の女性が良い。

記憶媒体を聴く楽しみは、その安直さとそれを自分で作り上げていくことにある。クラシック音楽でも寝ころがったり、酒を飲みつつ聴くことができる。それでも聴く環境によって、音楽のジャンルは制限される。生活音がする場合は、私はクラシック音楽を聴くことができない。一方ジャズは雑音があっても楽しめる。おそらく音楽の成り立ちが、そのように出来ているのであろう。

記憶媒体を聴く際に、その機器によって音が異なることを知ったのは、最近のことである。これは杏林大学の友人から教わったことであるが、家のコンセントを病院仕様の圧着性の良いそれに変えた時に、音質が全く異なったことに端を発する。それからはケーブル、電源、フューズを選ぶことで、ノイズを減らした音楽を楽しむことにいそしんでいる。基本はコンセントをオーディオ用に変える、ケーブルを7N以上の純粋な銅または銀使用のものに変える、家庭用電源に入っているノイズをトランス等で除去することで、同じ再生機器を使用しても音質が全く異なってくる。この作業は生の音楽を聴く場合と異なり、自分の好きな音質の音楽に記憶媒体のそれを変えていく楽しみがある。

記憶媒体には現在、アナログ媒体のレコードとCD、SACD、iTunesで代表されるデジタル媒体がある。アナログのレコードなどは、とうの昔になくなったとお考えの方が多いと理解しているが、現在でもレコードは製作されており、それを再生する機器も常に新しいものが発売されている。これは音質がデジタル媒体のものより優れている点があるためで、特に1980年以前に録音されたものは、レコードの方がすべての点で優れている。

これは前号の長縄先生の巻頭言に通じるところであるが、アナログの問題点はその操作性、保守性といった実用性に劣ることで、ターンテーブルの回転数の維持、トーンアームの調整、カートリッジの選択に時間とお金が必要になる。

ストレス解消法に音楽のことをあれこれと書いてきたが、ストレス解消法にはもうひとつの方法があることが知られている。それは絵画を見ることである。ただこれは、我々画像を相手にする者にとって、毎日遭遇することで、若い人の病変のない「綺麗な」正常画像を見ることで、なぜかホッとすることは皆が経験することであろう。これが我々の職種の最大の利点かもしれない。

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