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メディカルネットワーク
No.272 No.1-2008
放射線科医として駆け出しの頃

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「写真と画像」

Konica Minolta Medical Network No.272 No.1-2008

北海道大学大学院医学研究科放射線医学分野 教授 白土博樹

北海道大学大学院医学研究科放射線医学分野
教授 白土博樹

中高生の一時期、写真を撮るのが好きだった。内科医の叔父から現像・焼付けのセットをもらった。夜になると2階の自分の部屋の隙間を目張りして真っ暗にし、フィルムを小型タンクに入れ、まずネガを作る。そのあと、赤い電灯を付けた薄暗がりの中で、ネガを引き伸ばし器にセットし、一定時間印画紙に露光したあと、その印画紙を液体が入っているバットに潜らせる……数秒後に浮かび上がってくる白黒の陰影は魔法のようであった。

こう書くと機械的作業のようだが、実際には露光の際にコントラストを付けたい場合には他の場所に手を翳したり、削りたい部分が写っていれば拡大率を上げてネガの一部だけを露光したり……、できあがった写真を見て、いっぱしの写真家になったような誇らしい気持ちと、それぞれの写真に人的操作が加わっている「暗室操作」があることを知ってしまった後ろめたさが、子供心に複雑に交差していた。

そんな経験からなのか、画像への憧れと警戒心みたいな相反する気持ちが、自分の中にある。現代の驚異的な医用再合成画像を作っている医療者も、私が子供のときに暗室で感じていた誇らしい気持ちと後ろめたいアンビバレントな気持ちを感じながら、自分が作り出した画像を眺めているのではなかろうか? そこにあるのはいままで人類が見ることのできなかった微細な3次元構造や機能画像であると同時に、その人が表現しようとした物事の陰影が映っているにすぎないという側面もあり、真実から発せられたはずの多くの光は見えざる手で遮られ削られているはずである。

意図的な「暗室操作」がない場合でも、画像には危うさが付きまとう。たとえば、人は絶対に止まっている瞬間などないはずなのに、カメラはそれを捉え、もう修正できぬ歴史的真実としてわれわれの前に差し出す。ビデオにしても、同じものを何度も見ているうちに動きのパターンがひとつの真実としての意味を持ち始める。静画像にしても動画像にしても、実は過去の光に手を翳して削り取ったものにすぎないのに。

最近の医療者は、CTやMRIなどの診断画像にしても線量分布を載せた治療用画像にしても、一昔前と違って、これらの画像の危うさをかなり理解していると思う。しかし、現在の画像の本当の怖さは、われわれ自身、理性ではその危うさがわかっているはずなのに、画像が感性に訴えかける現実感で写真に現れた模様を唯一の真実であるかのようにわれわれが悟性的判断をしてしまうことである。理性では「かなり加工された」あるいは「単に一瞬を捉えた」画像とわかっていても、個々のリアルな画像を前にすると、その画像を根拠に感性的・悟性的な判断をしてしまいがちである。

プラトンに従えば、感性や悟性は洞窟の壁に映った影を見ることができるだけで、理性だけが物事の本質・イデアを捉えることができるのだそうだ。何人も、洞窟の壁に映った影に理性的判断を加えて、真実を見出すことが重要である。放射線医療に携わる者は、できるだけ最先端の医療用画像から真実を見出すと同時に、「暗室情報」のプロフェッショナルとして、悟性的判断で医療を施しがちな善意の医師たちに、その危うさを唱えることが重要であろう。

今後、再合成技術が先鋭化し「見かけ上真実に近い画像」が増えるほど、削り取られた情報がなんであるかという「暗室情報」を理解し得る専門家は、数が減り孤立しやすい。そういった先進医療につきもののリスクを減らすために、われわれ放射線医療の教育に携わるものは、若い優れた医療者を育て、現場の医療の質を高め続ける使命があるのだと思う。

そして、現実には光として画像に届いていても理性でも捉えられない真実も山ほどある。いまでも1mmの癌は「正常CT」の中に発見されずにたくさん隠れているであろうし、5mmの肺の異常陰影が見つかってしまったために無駄な手術を受けている方もいるであろう。どんなに真摯な医師も、歴史的に見れば誤診や過小治療や過剰治療をしている。

優れた放射線医療者は、どんな形で病める患者側に、画像からの病態情報を伝え生かすことが正しいのであろうか? その問いに対して、私にはこれだ、という的確な解が思い浮かばない。あえて言えば、論理的には逃げになるのだが、人と人との信頼関係とか、真摯な努力に対する評価とか、愛情に溢れた洞察とか、きっと何か優れた写真の芸術性に似た「画像を超えたもの」がそこには必要なのだと思う。

写真好きの子供だった1960~70年代前半、カメラ雑誌を捲りながら、憧れの的のコニカのヘキサノンレンズやミノルタの一眼レフSRT101などの性能表を眺めるのが好きだった。あの頃、まさかコニカミノルタという会社ができるとは思わなかった。個人的には、最先端ヘルスケアの世界でも、当時の両社の写真の“抜けの良さ”や“ボケの味”にこだわって「暗室操作」では隠せない真実に迫る技術と心意気で、かつての写真少年たちを心の中でうならせてほしいと願っている。

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