課題と向き合う意思、磨きぬかれた技術力

満天の星の輝きよ、好奇心のきらめきとなれ

プラネタリウムの歴史に2人の男がいた

大阪市立電気科学館が開館し、そこでドイツ製のプラネタリウムがわが国で初めて公開されたのは、1937年のこと。このプラネタリウムに魅せられた男がいた。当時の千代田光学精工(後のコニカミノルタ)社長、田嶋一雄である。

そしてもう一人、昔見た星空の美しさが忘れられず、あの素晴らしい星空を投映する機械を作りたいと、プラネタリウムの製作にたった一人で立ち向かった男がいた。名は信岡正典という。

オートバイの修理業を営んでいた信岡は、プラネタリウムの研究のため、大阪市立電気科学館に日参した。同館の天文部主任も信岡の熱心さにほだされ、ついにプラネタリウムに直接、手で触ることを許したという。

その後、信岡はついにプラネタリウム1号機を完成させ、そのニュースは新聞にも取り上げられることとなる。

  • Scene02 プラネタリウムが求めたコニカミノルタのレンズ
  • 黄疸計

  • 葉緑素計

  • X線撮影装置

  • プラネタリウム