私と広島との出会いは40年前、小学5年生のときだった。担任の高橋先生が被爆2世だったのだ。先生は、被爆者であるお母様のことや、原爆の恐ろしさを何度も語り、「原爆の子の像」のモデルとなった禎子さんの闘病記を、毎日読んでくださった。
先生自身も白血球が少なく健康への不安を抱えていたが、とても明るく楽しい方だった。そして、原爆を落としたアメリカを責めるのではなく、人間の罪や弱さと向き合うことの大切さを力強く語っていた。その言葉は「決して忘れてはならない大切なこと」として、私の心に深く刻まれた。
自分と向き合える歳になって、私は大切な宿題を思い出した。そして、その答えを見つけるべく何度も広島を訪れた。40年の時が過ぎても、広島の人々の暮らしは少しも変わっていない。健康上の不安は消えず、様々な偏見との戦いは続き、平和への祈りは未だ実現していない。そんな状況にあっても、慰霊と平和への祈りは途切れることなく続いている。
あの日を境に「廣島」は「ヒロシマ」になった。その重い歴史と共に生き続ける街は、とても優しく祈りに満ちている。熱心な平和運動もすごく大切だ。けれど365日静かに続けられる祈りには、とてもかなわないと思う。未来へのバトンを託された一人として、この街からのメッセージを全ての人に届けたい。
| 1960年 | 東京都出身 |
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| 1981年 | 和泉短期大学 児童福祉科卒業 |
| 2009年 | 現代写真研究所 英ゼミ卒業 |
| 現在 | 障害者地域作業所「えのきの里」勤務 フォトシティさがみはらサポーターズクラブ 役員 英 伸三氏・児島昭雄氏に師事。 |
| 2008年 | 写真集団北斗展「今、そこに注ぐ視線」 シリウス |
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| 2009年 | 写真集団北斗展「今、そこに注ぐ視線II」 シリウス |
| 2010年 | 個展「0.5坪 庭付き一戸建て」 シリウス |
A2およびA3ノビ 約55点
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