街角での一期一会の撮影は、必ずこちらの身分、目的等を伝え、了承を得てからを信条としているので、手早い作業が要求される。被写体とのコミュニケーションをはかりつつピント合わせを行い、相手が構えてしまわぬよう迅速を心がけている。どうしてもその瞬間をおさめたい時は、アイコンタクトで微笑を交わし、暗黙の了承を感じてながらシュートする。若者の場合は、自己主張や存在感の授受を好ましく思う意識が、撮り手を押してくれることがとても有難い。
またマイアミに在っては、大学施設での暗室作業の傍ら、多くの学生達と接する機会に恵まれ、和やかなアプローチを実践出来たことは幸いであった。
青春時代のさなかは、その確たる形も見えぬまま、時は足早に過ぎてゆく。しかしながら、レンズにたぐり寄せた被写体の彼方に、すっかり忘れていた感覚や、薄れかけていた感性が蘇ることも多く、それは私にとって新鮮な感動であった。
世代の違う彼らの言葉、音楽、生き様に、彼らの時代をも共有しながら、怖いものなど何もなかった時代のしなやかな心を、あらためて見出す旅でもあった。それは、静物や風景写真、プロジェクトとは異なる、直接的な陽のエネルギーを肌で感じるものであった。
早期自立を余儀なくされるアメリカの若者と私との間には、不思議とジェネレーションギャップはなく、年齢や履歴等を超えたジェンダーだけが存在する。私は、何ものにも囚われず、自由自在に彼等と闊達に意思の疎通をはかれたことが、今とても懐かしく思われる。
しかしながら、あらかじめ予定していた撮影と違い、時間帯や天候を選べず、写真に不可欠の良い光を得られなかったり、感度160を常用しているので、光不足だったりと、質より情況を優先させるかどうかのディレンマは常にあった。
また、フロリダ滞在中は、その外気温の高さゆえ、車中のトランクにカメラやフィルムを放置することが出来ず、いつも何かと荷物の多い私は、携行している小さな単レンズ35mmあるいは手持ち可能な中判カメラを、常に持ち歩かなければならない不便さはあった。それゆえ、適材適所の機材の選択の不十分さ等、決してその完成度が高くはないのが遺憾である。
種村ちえ子
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