今回の作品での新たな試みというのは、まず環境の変化から生まれる客観的目線。ギャンブル的行動。ハプニングに身をゆだねるということ。イギリスはロンドンという地にて一期一会になるであろうはかなさと、そこにある存在を受けとめていきたいという考えが、この作品の始まりである。そして、まぎれ込むこと。しかし、心の隅に自分は観客であることを意識していたように思う。ヴィジアル変化よりも感情や考え方の変化。コンセプトやヴィジョンの現実化でなく、知らない現実をいかに知るかということ。それが今回の作品の試みでもある。
日本に帰り撮影してきたものを1枚1枚プリントして見てみた時、1人1人の人間の存在感の大きさに気づいた。と共に何か物足りなさを感じた。1つのポイントに対して集まり、散らばっていく。そんな人間の摂理をロンドンでは感じていた。消えては現れ、現れては消える。繁殖のようなものがそこにはあったのだ。 実際、始めは少し引いて現場を見ていた。全体を見回して、誰かに近づいていった。そんな僕の体験を鑑賞者にどのように伝えればいいのかと考えた時、1枚の紙に何枚も配置し、集合体を作り上げるという結論になった。カラー写真の合間合間にモノクロ写真を入れてみたり、風景や遊具などを挿入した。結果、集合体の中の個は単体で見たときよりも強く目に映り、まぎれ込んでいるように見えた。何枚も作り上げ、それらを引いて見た時、1つの集合体となり、僕が見たロンドンの現在が垣間見れたのです。
環境破壊や政治的不安、むき出しの戦いもあればリアルとフィクションがごちゃごちゃな現代。この社会と自分と向き合うこと。そして、そこから抜け出し意味や物語からも抜け出していきたいと思う。みるということに自分自身の意味を問いただしてみたい。感情から切り離したいとも思う。写真は感情や言葉よりも前に出てほしいと最近思うのです。
アクセス